パニック闘病中の「時間」の意識の話

パニック障害奮闘記

はじめに

こんにちは。少し間が空きました。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

パニック闘病中の方は大変な中このblogに来ていただいてありがとうございます。

少しでも早く克服できる日が来ることを祈っています。

さて今回はパニック闘病中の時間の考え方について書いていこうと思います。

都合の良い人間の本能

人間というのは、本能的には自分に都合の良い考えしか浮かばないもので。

パニック発作が起こったり、予期不安が起こったりすると、とにかくその苦しみから今すぐに逃れたいという感情に全てを支配してされてしまいます。

そして

発作が起こるたびに、自分はもう日常生活すらできなくなるんじゃないか等、感情は地獄の底に落ちたみたいに落ち込んでしまいます。

そしてまたその発作が、起きてしまうのではないかという恐怖心と不安で、予期不安が始まります。

どこの時間を見ているか

パニック闘病中の「時間」の意識の話、いう非常に曖昧なタイトルで始めましたが、ここで言いたいことは「このパニック発作から今すぐ逃れたい」とか、「明日にでもこのパニック障害を治したい」という、療養してる身にとっては至極当たり前の感情からの脱却が大事であるということです。

ちょっと難しくなってきましたが、わかりやすい対比例を書きましょう。

例えば、歩いていて、何かにつまずいてしまって、膝を軽く擦りむいたとしましょう。

血が出ています。痛いです。しかし絆創膏を貼って、何日かすると何もなかったかのように元通りに治っていきます。

擦りむいた瞬間は痛いですが、その瞬間に、「あ〜、これは3日くらいで治るかな」と過去の経験から簡単に想像できます。痛みが薄くなっていくと擦りむいたことすら忘れてしまいます。

それに比べ、このパニック障害っていうものは、発作が起こるとその状態がいつ治るか分からない。そして、治ってもそこからまた予期不安が高まってまた発作が起こってしまう。膝を擦りむいた事に比べて、いつ治るか、いつパニック障害を克服できるかというイメージが全く湧かないのです。

そして一生このままの状態かもしれないとさえ思ってしまうのです。

実に厄介な病気です。

恒常性の話

パニック発作克服の初期では、この発作は「ずっと続くわけではない」「ある程度心拍数が上がって全身に血液が行き渡った時点で少しずつ心拍数が下がって治っていくんだ」という考えが頭に浮かぶかどうかというのが大事であると思います。

初期段階では、発作が起きるともっと酷くなるのではないかという心配しか頭に浮かびません。

このまま頭が狂ってしまうのではないかとか、このまま死んでしまうのではないかっていうふうに。

しかし、パニック障害自体で頭がおかしくなった人も死んだ人も居ません。

人間の恒常性維持調整機能は、必要だから動悸を起こしたり、意識を薄くさせたり、震えたり、手足の感覚を鈍くさせるのです。そして、必要なくなった時点で元に戻っていくのです。

この発作の時間がずっと続くわけではないのです。

なので、大雑把にいうと、時間にしてちょっと先を見ていくって事です。

闘病生活も同じです。

今日には克服できないかもしれませんが、ひょっとしたら「明日」、とか、「来週」とか「来月」とか。

人間は忘れる生き物

そして克服できてしまったら、嘘のように出来なかったことがどんどん出来ていくようになります。

そうなると、パニック障害で死ぬほど苦しんだ日々も嘘のように忘れてしまうんです。

私がこのブログを書いている理由の一つに、この闘病生活のことを克服して1年も経たないうちに忘れそうだったので備忘録として残そうという感情が合ったからです。

黒歴史なのだから忘れてしまった方が良いと思われる方も多いでしょうが、実はその間に得られたものもたくさんあります。

そして何より、今パニック障害で苦しんでいらっしゃる方の少しでも克服のヒントを見つけてもらえたらなって思って書いています。

話が脱線してしまいましたが、焦らず、少し先を見ていっていただくと何か変化があると思います。

今空きはこの辺で。

また次回まで。

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